名古屋高等裁判所金沢支部 昭和40年(ネ)115号 判決 1966年6月15日
控訴人(申請人) 株式会社山田温泉元湯玄猿楼 外一名
被控訴人(被申請人) 富山県
訴訟代理人 川本権祐 外四名
主文
原判決を取消す。
控訴人らの本件申請を却下する。
訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの連帯負担とする。
事実
控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は、室牧発電所、若土ダム間の還流隧道からの県営山田東部地区開拓パイロツト事業のための取水の量、方法、期間、利用範囲、および山田川への放流量について控訴人らとの間に合意が成立するまで、右隧道から取水してはならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上、法律上の主張は、次に記載するほかは原判決記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴人ら訴訟代理人は、「(一)、原判決のように権利と利益とを厳格に区別することは妥当でなく、利益がありそれが客観的に特定の者の利益として認められ、保護されるようになつた場合は、被保全権利と認められるべきである。ところで、(イ)、控訴人会社の収容人数は六百名を超えるもので、その飲用、雑用水は山田川から取水する以外にはまかないきれないものであり、このような利用状況からすれば、控訴人会社が山田川から飲料水を取水する利益は、当然権利として認められてよいものであり、(ロ)、山田温泉は山田川を除いては観光的要素はなく、山田温泉における山田川の景観は前田藩時代から山田八景の一に数えられ、長年にわたつて客観的に認められたものであり、温泉地の環境として不可欠のものであつたのであり、控訴人会社としても積極的に観光のために利用してきたのであるから、観光のための権利として認められるべきである。(二)、井田川総合開発計画に関して昭和三十二年二月十八日に被控訴人と山田村との間に成立した合意(覚書)に、控訴人らが同意したことはない。右覚書に既設温泉保護に関する条項があるにしても、山田村村長が個人の権利について合意を結ぶ権限はないし、また右覚書による合意の当事者でない控訴人らの権利を、右の合意によつて制限することはできないはずである。(三)、山田東部地区開拓パイロツト事業(以下「本件パイロツト事業」という)計画においては、右事業のための取水施設の構造、取水量の測定方法、取水期間等が明確にされていないから、単に右事業のための取水量が最大毎秒〇・三トンであり、異常渇水時には右取水を中止することもあるということ、室牧発電所から還流隧道に従来よりも増放流させることを計画しているということのみでは、山田川下流沿岸民の権益に支障を及ぼさないということはできない。(四)、控訴人会社の温泉プールは、昭和五年に開設したもので、第二泉源、および山田川の水を利用して夏期のみ使用しているもので、元湯泉源の湯は全く使用していないのであるから、右プールの開設と元湯泉源の湧出量とは全く関係がない。(五)、井田川総合開発計画による山田川流域変更後、山田川の流量は一定でなく、殊に農閑期の流量減少が甚しいので、それまでのように流水を利用して人力で堆積した砂利の排除を行うことは不可能となつたため、多大の積砂をまねき、川床と流水の間に水圧をはばむ砂利、小石が層をなすに至つたのであるが、本件パイロツト事業のための取水が行われるようになれば、さらに山田川の流量が減少し、右の現象は益々著しくなる。(六)、パイロツト事業の実施によつて、百六戸が平均七反歩の増反となるというのであるが、その開田による増収のために要する人件費、機械費、生活費の増加を考えれば、個々の農家にとつて多少の収益増加はあるにしても、固定資産税、所得税、県民税、村民税等の公共の収益増加は殆んど望めない。これに反して、山田川の水量が確保され、水圧による山田温泉の湧出量、湯温の低下が防止されるならば、その将来における観光価値は勿論、地方開発、および発展は本件パイロツト事業の実行とは比較にならない程大であり、これによつて山田村、被控訴人、のみならず国にまで利益を及ぼすことは明らかである。(七)、控訴人らが求めているのは、還流隧道からの取水禁止であるが、還流隧道から取水しないことによつて、さしあたつて開田できなくなるのは、本件パイロツト事業計画のうちの鎌倉地区のみであり、これは本件パイロツト事業による開田地域の十分の一以下の範囲であるから、本件仮処分の執行によつて、本件パイロツト事業全部が実行できなくなるのではない。しかも山田川の山田温泉よりも下流から取水しても本件パイロツト事業のほぼ全体を実行することは可能なのである。(八)、行政事件訴訟法第四十四条にいう「公権力の行使に当たる行為」というのは、事実行為のような権力的意思活動を伴わない行為、すなわち行為そのものの無効、あるいは取消の問題を生ずる由のない行為を含んでいないし、また県営、あるいは国営事業であれば、なんでも公権力の行使と考えることは誤である。(九)、被控訴人は、被控訴人が本件パイロツト事業のための水利権を有しているかの如き主張をしているが、被控訴人が有しているのは昭和三十二年十月二十五日付許可による発電用水利権のみであり、この水利権を他に転用することはできない。被控訴人が新たに流水占用をするには河川管理者の許可が必要であり、この許可を得るためには、水利調整のため協議を既存の水利権者としなければならないのである。被控訴人が還流隧道から取水することは河川管理者の許可を得ていないことであるから、不法行為であり、当然禁止されるべきものである。(十)、本件パイロツト事業は国民金融公庫から金融を受けて家を建築するのと同質のことであり、工事が完成し負担金が支払われれば、財産は個人のものとなつてしまうのであつて、直接的公共の利益を目的とするものではないから、公益事業ではなく、私権の集合に国と県が補助をしたに過ぎないのである。したがつて、本件パイロツト事業のための取水権は既存権利者の犠牲において無償で取得できるものではない。」と述べた。
(疎明省略)
被控訴人指定代理人は、「(一)、本件パイロツト事業は土地改良法第二条第二項第三号の農用地造成事業であり、その実施手続は県営土地改良事業として同法第八十五条ないし第八十七条の規定に基いて行われているものである。土地収用法第三条第五、六号、土地改良法第九十一条第一項、地方自治法第二百三十一条の三第三項、土地改良法第八十七条第四ないし第八項の各規定によると、土地改良事業の施行が公権力の行使に当るものとの思想に基いていることが明らかであるから、本件取水工事が行政庁の「公権力の行使に当る行為」に該当することは明らかである。したがつて、本件仮処分申請は行政事件訴訟法第四十四条により許されないものであり、不適法として却下されるべきものである。(二)、控訴人会社が昭和三十四年四月頃から、それまで控訴人会社が飲料水として分水を受けていた長井清信所有地からの湧出地下水の一部を、旅館光楽へさらに分水していること、および昭和三十八年七、八月頃に控訴人会社が水洗便所を設置したほか、他の保養、学校等の施設も水洗便所を設置し、いずれもその汚水を山田川へ排水していることからすれば、控訴人会社がその必要とする飲料水を山田川から得ているということは考えられない。また控訴人会社が主張する観光水利権というのは、公物主体が公共用公物として維持管理していることの事実上の反射的利益に過ぎないもので、法的保護を与えられるべき利益ではない。(三)、昭和三十二年二月十八日付の被控訴人と山田村間の合意(覚書)が成立する前に、控訴人会社の前身である山田温泉旅館との間で話合いが行われ、右旅館の支配人であり山田村議会議員であつた頼成力夫も参加して、右覚書の各約定が定められたものであり、かつ右覚書が交換されてから昭和三十九年四月十二日まで、控訴人らから被控訴人に対して何らの不服申出がなかつたのである。(四)、本件パイロツト事業のための還流隧道からの取水口は、五十センチメートル平方の角型で、取水量調整のための水門が取付けられており、かつ水路は水流量が毎秒〇・三トンを超えるときは、溢流余水吐から溢流して若土貯水池へ流下するようになつているから、本件パイロツト事業のための取水量が最大毎秒〇・三トンを超えることはないし、本件パイロツト事業の灌漑期は五月上旬から九月中旬までであり、この期間において控訴人らの山田川の流水利用については、原審で述べたとおり何も影響を及ぼさない。(五)、控訴人会社の温泉プールが第二泉源から引湯しているとすれば、もし元湯泉源の湯出量が減少しているとしても、それは第二泉源からプールへ引湯していることの影響であり、山田川の水量の影響ではないと考えられる。(六)、本件パイロツト事業は農用地を開発して、農業の生産性の向上、農業総生産の増大、および農業構造の改善に資し、国民経済の発展に寄与することを目的とするものである。控訴人らは、本件パイロツト事業による収益増加による租税収入増加よりも、控訴人らの営業収益の増大による租税収入増加の方が大であると主張するが、当事者双方の利害得失を比較衡量するに当つて、農用地の開発と租税収入という異質のものを対比することは妥当でない。(七)、控訴人らは、還流隧道から取水しなくても、山田川下流から取水できると主張するが、山田温泉よりも下流の山田川から機械揚水によつて本件パイロツト事業に必要な量の取水をするには、口径百六十ミリメートル多段タービンポンプ八台と百キロワツトモーター八台を設置しなければならず、この設置費は七千万円を要し、しかも年間維持費が二百五十万円を超えるのであり、このような設備をすることは経済的にも技術的にも困難で、到底実施不可能な案に過ぎない。(八)、控訴人らは、被控訴人が本件パイロツト事業のため取水する水利権をもつていないから、取水することは不法行為であると主張するが、被控訴人は現在未だ本件パイロツト事業のための取水をしてはいないから、右主張は当らない。被控訴人は国の機関としての河川管理者たる富山県知事に対して、本件パイロツト事業のための取水の水利権の許可を受けるべく河川法所定の申請手続をすすめている。控訴人らは、水利権の許可を受けるためには、既存の水利権者と水利調整のための協議をしなければならないと主張するが、河川法第三十八条但書の規定によると、河川管理者は、同法第二十三条の許可の申請があつた場合において当該水利使用により損失を受けないことが明らかである者については、同法第三十九条、第四十条に関連して建設省令で定める事項の通知義務がないこととされており、また既存の水利権者が当該許可により損失を受けなければ、当該許可を受けた者は必しも協議する必要はないのである。したがつて、許可を受けるためには既存水利権者と協議しなければならないという控訴人らの主張は失当である。」と述べた。
(疎明省略)
理由
先ず、被控訴人の、本件仮処分申請は行政事件訴訟法第四十四条により許されないものであるから、不適法であるという主張について判断する。
いずれも真正に作成されたことに争いのない乙第十三号証の一、二、同第二十三号証、同第二十四号証の一、二、同第二十五号証を合わせて考えると、本件パイロツト事業は土地改良法第八十五条ないし第八十七条に定められた手続を経由して行われている同法第二条第二項第三号に該当する被控訴人が行う土地改良事業であることが認められる。
土地改良法第八十七条第四ないし第八項において、都道府県営土地改良事業を行うため都道府県知事が定めた土地改良事業計画に不服のある者に、行政不服審査法による右計画についての都道府県知事に対する異議の申立てを認めるとともに、右異議の申立てに対する都道府県知事の決定に対してのみ行政事件訴訟法による取消訴訟の提起を認め、他方右計画による事業の施行については行政不服審査法による不服申立てができない旨規定していることからすれば、都道府県営土地改良事業の施行行為は、行政事件訴訟法第四十四条にいう行政庁の公権力の行使に当たる行為であると解すべきである。
被控訴人が室牧発電所、若土ダム間の還流隧道から行う取水が、前記認定のとおり県営土地改良事業たる本件パイロツト事業の施行として行うものであることは当事者間に争いがない。
してみると、右取水の禁止を求める控訴人らの本件仮処分申請は、その理由(被保全権利、および保全の必要性)の存否について判断するまでもなく行政事件訴訟法第四十四条により仮処分をすることができない事項を求めるものであつて、不適法であるといわなければならない。
よつて、控訴人らの本件仮処分申請の理由の存否について判断してこれを棄却した原判決は失当であるから、民事訴訟法第三百八十六条によりこれを取消し、控訴人らの本件申請を却下することとし、訴訟費用の負担については同法第九十六条、第八十九条、第九十三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西川力一 島崎三郎 寺井忠)